フロイトの精神分析の理論をどっぷり/心の構造/無意識/自我
2018/03/16
はじめフロイトの「自我」「エス(イド)」「超自我」を脳科学でどのように取り扱っているかの説明のために、フロイトを説明し始めたら、この三つだけの紹介で終わってしまいました。夢の解説もできませんでした。
[speech_bubble type="think" subtype="L1" icon="me.jpg" name=“エス”]エゴイストの「エゴ」のことは、フロイトでは「エス」と言います!混乱しないでね [/speech_bubble]
目次
フロイトが考えた「心の構造」
フロイトの考えた心の構造は、「エス(イド)」という本能の塊と、倫理観の守護「超自我」、その両者を調整し、その結論を行動に導く「自我」の3つで構成されています。
そして、これら三つのバランスが壊れることが、精神的病気の一因であり、「抑圧」や「防御規制」が代表的なもので、その診断と解決の糸口は、「夢」にあると考えたのがフロイトです。
図は、wikipediaから引用させてもらいました。
まずは、無意識の話から。フロイトは精神科医でしたが、当時の(まだ未熟な)生理学のようなものでは患者の治療に役立たないと考え、自分で理論を組み立てました。
今では、フロイトのことを非科学的と言う人もいますが、生物学的な反応とは別に、心理的活動に注目したことは、一つの偉業といえます。そして、患者の観察と臨床実験だけで、人間のこころのメカニズムを説明する理論を組み立てしまったというのも驚嘆に値します。
フロイトの心理学での位置づけの参考リンク:心理学の位置づけ知ってる?認知療法:ABC理論
無意識は思い出せない
人間の悩みの源泉は「無意識」にあるとし、その無意識を理解するために、「自由連想法」「遊戯療法」を考え出しました。
フロイトは、人の心を氷山に例え、意識されているのは一部で、大部分は無意識下に隠れていて、上図のように、心を「意識」「前意識」「無意識」の3つの部分に分けて考えました。意識と無意識の間にある「前意識」は、この思い出そうとすると思い出せる部分を言います。例えば、ある人との待ち合わせする約束した時間を忘れてしまっていたします。この約束は思い出すことができるでしょうが、何故、その約束を忘れてしまったかは、いくら思い出そうとしても思い出せません。ひょっとするとその人をどこか嫌っているかもしれません。このように抑圧された心の奥底の部分を無意識と言います。
[speech_bubble type="think" subtype="L1" icon="me.jpg" name=“意識”]いけない!約束を忘れてた[/speech_bubble]
[speech_bubble type="think" subtype="R1" icon="ikari.jpg" name=“無意識”]あの人を嫌い[/speech_bubble]
この意識や無意識の話から、後、こころの動きをより上手く説明できる「心的構造論」というものを提唱しました。
エス・自我・超自我
これが「エス」「自我」「超自我」の理論です。やっと冒頭の文章にたどり着きました。この三者の脳内会議が、こころを決定していきます。
「エス(イド)」のイメージは、図の右下の大きな存在、本能のままに行動します。そして、エネルギーの固まりです。エスは自らの欲求を満たすことだけを目指し、「快楽原則」と呼びます。フロイトは「エスは混沌と沸き立つ興奮に満ちた釜である」と言っています。
[speech_bubble type="think" subtype="L1" icon="kao.jpg" name=“エス”]私は、本能のかたまり![/speech_bubble]
「自我」とは、自分で自分と認識している心の働きで、上図のように意識と無意識にまたがっています。「自我」はエスから成長したもので、社会適応するためのこころの働きです。
[speech_bubble type="think" subtype="L1" icon="me.jpg" name=“自我”]私は、大人。社会人。うまくやろ![/speech_bubble]
「自我」=「自己イメージ」とするのは間違いで、自己イメージは意識化された自己認識のみを指します。自我は無意識の中にも広がり、意識することなくエス達を押さえようとする役割をはたします。
自我は、自分の欲求を満たそうとするエスと違い、現実に適応するやり方で自分を満足させようとします。フロイトは 自我とエスとの関係を、馬をエスで、騎手を自我にたとえ、自我がエスの欲求をコントロールする役割をとっていると説明しました。
<自我については、どの時代でも論議が絶えず、レジリエンスにおいても最重要テーマと言って良いでしょう>
「超自我」は、自我に対して行動の規範を強制し、自我が従わないとき、自我を罰します。その結果、劣等感や罪の意識、不安が発生すると説明しました。超自我は、両親や自分にとって重要な人からの経験から生まれた道徳の番人のような存在です。
[speech_bubble type="think" subtype="L1" icon="ikari.jpg" name=“超自我”]私は、道徳の戦士[/speech_bubble]
傷つきやすい「自我」
この三つの中で「自我」が、最も傷つかやすく、精神的病気の原因となります。
その治療法を、フロイトは医師の立場で、「患者の悩みを医師が理解し、それを分かりやすく伝え、患者が、自分の気づかなかったことを受け入れていく」という 手順を取ります。
しかし、患者は、当然、抵抗します。その「抵抗」がなくなるまで、この手順を繰り返すというものです。
手法としては、自由連想法を使って、それをきっかけに、現在自分の抱える症状や問題を話していく中で、症状の原因となっている過去の経験を蘇らせていくことで、抑圧から自我を解放します。
フロイトは、心的な問題の原因を「自我」の「抑圧」だと考えていたようです。
「自我」は、いつもエスと超自我の要求に攻めたてられています。そして、この要求に応えられないと考えると不安が発生します。最も大きな不安は、自我の中で一貫性を無くし、矛盾を起こす自我の破壊です。
この不安から自分を守るために「防御規制」が発生します。その自己防御の典型が「抑圧」です。
この辺まで来ると、かなり哲学的になりますが、「自我」「抑圧」「防御規制」といったものは、現在でも重要な概念として使われいています。
上述の超自我は、脳科学で否定されてます参考リンク:フロイトの「自我」「エス」「超自我」を、脳科学で検証する
自我を守る「防衛機制」
最後に、「防御規制」の話をします。
自我を守る根本的な方法は、「無かったことにする」ということです。しかし、「無かったことにする」では、自分に嘘をついていることになりますから、「本当に無い状態」いわゆる「記憶から消す」という荒ワザを使うことなります。これが、「抑圧」です。
[speech_bubble type="think" subtype="L1" icon="ke.jpg" name=“自分”]いいの。何もなかったの。思い出せないし。[/speech_bubble]
脳科学的には、消えた記憶は蘇らないので、正確な表現は、その記憶を呼び出さないように思考をプログラムすることが抑圧ということになります。
フロイト的には、自我が抑圧したものを意識から 締め出すという表現が正しいかもしれません。上の図でも、下に沈んでいます。PDSAやヒステリーなどの心的障害では、主にこの抑圧が問題になります。
後、防御規制には、隔離、反動形式、否認、投影、同一視、合理化、昇華等があります。
防衛 機制は、一時的ではありますが、自分を守る(自分の自我が不安から身を守る)大切な手段です。しかし、過剰に防衛機制を使っていると、自我の柔軟性が少なくなり、学習という面では、マイナスとなると、カールロジャースも言っています。
最後の文章で、やっと現代につながりました。