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言葉

言葉の落とし穴/コミュニケーションは共有すること

2017/12/30

もしも、メールやライン等のコミュニケーションツールが発展して、コミュニケーションが取りやすくなったと考えているなら、それは大違いです!

では、そもそも論から始めてみましょう。

目次

コミュニケーションは、共有すること

確かにEメールのやり取りで、言葉のやり取りは随分と増えました。しかし、お互いに伝えたいことを、昔より理解するようになったでしょうか?

「今が当たり前なので、昔と比べてなんて分からない」という人も多いでしょうが、もし、メールが使えなかったらどうでしょう?

簡単な伝言や会社の事務連絡等は困るけど、メールが無くても別に困らないかもしれません。

このレベルの共有は、コミュニケーションというには、かなり表層的なものです。

[speech_bubble type="think" subtype="R1" icon="ke.jpg" name="リンちゃん"]コミュニケーションは「共有する」こと![/speech_bubble]

何度か「共有する」という言葉を使ってきましたが、「コミュニケーション」のアンダーラインの部分は、「共有」という意味の英語です。

「コミニズム」「コミニティー」も語源は同じですね。

では、「コミュニケーション」は、他者と何を「共有するか」です。

それは、「事実」「状況」「知識」「考えている事」「気持ち・心情」と様々なものがあります。

「簡単な伝言や会社の事務連絡」は、事実や状況の共有ですので、人の外側にあるので表層的と表現しました。

人は、何故コミュニケーションを取ろうとするのか

では、そもそも人間は、何故、コミュニケーションを取ろうとするのでしょうか?

原始の時代を考えれば、人は少数の家族で生きていました。その時も自分の存在を他者に知らせ、必要なときに支援を求め、同時に、家族に危機がおよびそうなときは、それは知らせるというものがコミュニケーションでした。

同時、家族から離れるということは、死に直結する大事件ですので、自分の存在を知らせ、できれば他者を近くに置きたいという本能があったかもしれません。

また、心理学の心理的活動を問題にするときの大前提には、人は「自分の価値を認めて欲しい」という基本的な欲求があるとしています。

要は、社会適応するために必要というだけでなく、「他者に自分のことを分かって欲しい」という欲求がコミュニケーションの源泉です。

また、ハーバード大学の戦前から開始した75年間の追跡挑戦の結果では、長生きしている人は、良好な人間関係を持っているというものがあります。孤独は最大の生命の危機となるそうです。

コミュニケーションの最大の目的

話を戻すと

「自分の価値を認めて欲しい」ということ実現しようとする最も重要なコミュニケーションは、自分のことを使えることであり、相手が自分のことをどう認識しているかということです。

そして、相手に、自分の内的な考えや気持ちを共有し、認めてもらうことがコミュニケーションの最大の目的となります。

そして、この「共有」、特に「感情の共有」の質と量が良好な人間関係にとって重要となります。

コミュニケーションにおける言葉の落とし穴に落ちないために

二つのコミュニケーション

コミュニケーションは、言葉を使ったものと、言葉以外のものに大別されます。(バーバルコミュニケーションとノンバーバルコミュニケーション)

1960年代、当時のAT&Tの電話オペレーターへの調査で、「コミュニケーションとして伝わるのは言葉によるものが30%」というものが確かありましたが、電話での会話ですらこの率でするから、如何に言葉以外によるコミュニケーションが大事かということが分かります。

その意味で、ラインのステッカーは、気持ちや感情を上手く伝える手段としてスグレモノですね。

しかし、今回は言葉によるコミュニケーションに焦点を当てますので、言葉以外のコミュニケーションは別の機会に。

以前、「言葉の力/言葉がなければ、気持ちも論理もない!実在もしない!」で、言葉が思考に強く影響することにふれました。

コミュニケーションで使われる「言葉」

言葉は、コミュニケーションにおいて、さらに大きな問題を含んでいます。

それは、同じ言葉を使っても、お互いに違う意味を思い浮かべる可能性です。

同じ言葉で同じ意味合いを持つためには、一緒に経験を共にすることが一番の早道です。例えば、年老いた夫婦の会話で、おじいさんが、「あれはどこだ?」という曖昧な問いに対して、おばあさんが「箪笥の上にあるよ」という返事で、おもむろにおじいさんが腰を上げるというコミュニケーションです。

おじいさんの「あれ」は、おばあさんにとっての「あれ」と同じ意味で伝わっています。これは二人の長い共同生活の中で培われた同じ経験を通じて文脈(コンテキスト)を共有していることで可能になったコミュニケーションと言えます。

文脈(コンテキスト)とは

文脈(コンテキスト)というのは、「背景」とか「流れ」という説明されています。

上記のおじいさんとおばあさんの例で言えば、「同じ思考をしている」ということで、「同じ思考の中に二人がいる」、あるいは、「同じ思考の流れの中にいる」ということ、それが、同じ文脈(コンテキスト)にいるということです。

仕事仲間で学生時代の話をするより、当時に同級生と当時に話をしたほうが短い言葉で通じ合えますよね。たとえ当時あまり話をしたことがない同級生でさえ、当時の文脈を共有しているからです。

言葉を使って「言葉」の意味を定義する

では、共通の経験が無いと言葉の意味の共有化ができないかというとそうではありません。

違う言葉を使って、意味合いを特定していくということで意味を共有することができます。

具体的に言うと、

「濃いピンク色」のコート(意味と「言葉1図A)と話すと、相手が「ああ、ショッキングピンクね」

そうでなく、「赤に近いピンク(意味と言葉2図B)]と言い直すと、相手に「ピンク色だけど、赤に少し近い、ピンク色(AとBの重複したところ)」と伝わるようなイメージです。

意味1意味2

私達は、同じ世界(気心の知れた会社や学校など)にいると、このような説明をする努力を忘れ、自分の言っていることを、「相手が自分の意味すること分かっているはず」と、勝手に錯覚していることが多々あります。

教師や研修のトレーナーなどは、特に、その傾向があります。何故なら、受講生は「先生や講師が何を話そうとしているか」を常に注目し、受講生の方からトレーナーの文脈に近づいてきてくれます。それを良いことに講師はいつもの調子で一方通行の講義をするわけですから、唯我独尊の真っ只中です。

この辺は、自戒の念が必要ですね。

まとめ

言葉を共有したから、意味も共有されていると錯覚している危険性があります。

「話している日本語が分からない日本人」が増えたと思いませんか?「言語明確、意味不明」という輩です。このような場合は、お互いさまなのですが、一つ一つ意味を確認しなければならないので疲れますね。

ただ言いたいことは、英語圏の人達は「私の英語わかりますか?」という言葉をたまに聞くことがありますが、日本人で「私の日本語わかりますか?」という言葉をついぞ聞いたことがありません。これはコミュニケーションの最大の危機ではないでしょうか。

今のように、文章だけのメールで、多くの言葉を共有している場合、従来よりも、もっと本当のコミュニケーションが求められいます。意味や感情を共有していない言葉をいくら積み重ねてもむなしいだけです。

人は、鋭いところがありまして、メールやラインのやり取りを通じても、「どこか分かりえていない」というものを感じているものです。そのため、その枯渇感のため、さらにメールやラインが溢れるということになっているかもしれません。

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